2005年6月17日金曜日

「問答無用のエコは新種の無神経」(中野香織)




今晩の日経で服飾史家の中野香織氏の名文句。大拍手だ。散人も、もう数十年、いわゆる「エコ」に対してこういった感想を持っている。

中野香織氏は言う:
  1. 会食の席で「マイはし」を使う人には、気が滅入る。
  2. 再利用された封筒で手紙を貰ったが、封筒の内側に見知らぬ人の名前が見えて引っ掛かる。
  3. でも、いまやエコは絶対的な正義だのだ。それ以上にファッションである。
  4. ロハス(Lifestyle of Health and Sustainability、健康的で維持可能なライフスタイル)はアメリカの人口の30%、市場規模は約30兆円となった。
  5. こうして「ロハス」は問答無用の常識にもなりつつある。
  6. でも、先週英国の「ザ・サンデー・タイムズ」に「ヌーヴォー・ルードの誕生(The Rise of the Nouveau Rude)」と題する記事があった。「新種の無神経」が誕生しているというのだ。わが意を得たりだ。
  7. 自分の価値観を最高と見なし、周囲もそのライフスタイルを真似すべきだと思っている人達は、疲れる。

御意、御意、中野香織様、大賛成! 日本にもこんな傘にかかったアホが多すぎるのだ。

昔々見たミア・ファローの映画ジョンとメリー」を思い出した。見も知らない二人がたまたまベッドインした翌朝、男が朝食の場で食卓に出たタマゴを自慢する。無農薬有機野菜で育った鶏の卵だと。それを聞いてのミア・ファローの独白(字幕にだけ出る)が面白かった。「あ〜、こいつもエコロのアホか!」

映画はハッピーエンドで、結構楽しいのでおすすめ。散人が言いたいのは、60年代世代のアメリカには、いかれたヒッピーの間にもまだまだ健全な常識が残っていたと言うことである。エコも結構だが、他人に強制することなく個人レベルでひっそりとやるのが、好ましいと思う。

Posted: Fri - June 17, 2005 at 07:05 PM   Letter from Yochomachi   名言(迷言)集  Previous   Next   Comments  

2005年6月11日土曜日

ザクロの花が咲いた、柘榴の渡来と風呂屋のざくろ口との関係など



わが家で一番エライ木はザクロ。一応ヤマモモが庭の主木だが春になると否が応でもザクロが存在感を増す。去年は枝を剪りすぎてほとんど咲かなかったが、今年はちゃんと咲いた。この調子じゃたくさん実をつけそう。

 

ザクロの花には異国のかおりがする。それもそのはず、原産地はイランだ。シルクロードをつたって中国に入り、平安時代には日本にやってきた。北野天神縁起 では菅原道真の怨霊が柘榴を食べて口から種を吹き出すとそれが火焔となって建物を焼こうとする。まるで人間火炎放射器。当時はエキゾティックで不思議な果物だと思われていたらしい。

これが定説だが、たまたま今日目にした本に、もっと古かった可能性があると書いてあった。
4022598549植物ごよみ
湯浅 浩史
朝日新聞社 2004-06-11
by G-Tools
しかしながら、ザクロの渡来はもっと早かったかも知れない。それはザクロには果物より重要な用途があったからである。古代の日本でもっとも価値の高い用具のひとつは鏡。それはどうで作られていた。銅はさびやすい。当然磨いて手入れをしなければならない。いったい何で磨いたのか。それに柘榴の果汁が使われていた可能性が高い。

小学館のニポニカを見ると:
仏典には降魔の威力をもつと出る。中国へは紀元前2世紀、張騫(ちようけん)が西域(せいいき)から持ち帰ったと伝えられ、日本ではかつて銅鏡を磨くのにこの果汁が用いられた。
(C)小学館

貴重な鏡を輸入したときにその手入れの仕方も同時に教えて貰っていると考えた方が自然。卑弥呼も柘榴を食べていたのかも知れない。

小学館でついでに「ざくろ口」を調べてみた。これも鏡と関係があったのだ。
ざくろ口。江戸時代の銭湯にあったもので、戸棚風呂(ぶろ)が開放的に進化した浴槽構造の一つ。左右および後部を羽目板で囲んだ小部屋に浴槽を設け、その前面に天井から低く板を垂らして張ったものである。蒸し風呂と湯浴の折衷の構造といえる。湯気の放散を防げるので湯も冷めにくい。その前面を覆った板の下部に、人が身をかがめてくぐれる程度のすきまがあり、客はそこを通って浴槽と流し場の間を出入りした。
 この語源として、昔は鏡を磨くのにザクロの実の醋(す)を用いたところから、「かがみ入る」と「鏡鋳(い)る」をかけて、ざくろ口とよばれたという。(C)小学館

ということで、きょうはいろいろ勉強した。日本の植物は、このように多くは外国から入ってきたもの。コメ(稲)もそうだ。日本人にしたって、大半は外来種だ。あまりブラックバスを目の敵にするのもどうかと思う。
 

2005年6月7日火曜日

日経経済教室:「農協の解体的改革を」(山下一仁)



今朝の日経「経済教室」は必読。日本の農業がなんでダメになったか、その根本的原因 と現実的な改革の具体策を簡潔にまとめている。かつて渾身の力作『農協』で農協批判を展開した立花隆が、いまやすっかり農業問題について口を閉ざしてし まった以上、山下一仁こそが数少ない勇気ある改革提言者だ。がんばれ!

山下一仁(経済産業研究所上席研究員)は言う:
  1. 兼業農家と一体となって事業を肥大化させてきたJA農協の存在が農業の構造改革を阻んでいる。農業の再生のためには、JAから信用・共済事業を分離して農業事業に特化させたり、JA傘下外で主業農家による専門農協を設立するなど、企業的農業を支援する必要がある。
  2. 農協の反対により数限りない農業改革が破綻した。農協が自らの基盤であるはずの農業の再生・構造改革に反対するのはなぜか。
  3. 農協法の組合員ひとり一票制のもとでは、少数の主業農家より圧倒的多数の兼業農家の声がJA運営に反映される仕組みであり、JAにとっても兼業農家を維持し農家戸数を確保した方が政治力を発揮できるから。
  4. 農業が衰退する一方、経済成長による兼業機会の増加と農地転用売却益により兼業農家は豊かになった。
  5. JAも農産物販売では赤字に転じる一方、信用・保険などの黒字拡大により高成長が続いた。JAは今や国内有数の金融機関となった。農家もJAも脱農・兼業化で豊かになった。こうして政治と強く結びつくようになった。
  6. 農業の再生を図るためにはどうしても企業的農家を育てる必要があるが、全ての農家を平等に扱う組織原理が企業的農家の育成を阻んでいる。
  7. JAに主業農家の声をもっと反映させなければならない。そのためには農協利用度に応じてひとり一票制を見直すことや、信用・共済事業の分離が提案されたが、JAの反対で流れてしまった。
  8. それならば現行制度で対応できる方法として、コメ主業農家による専門農協設立を支援してはどうか。「農家のための農協」が「農業のための農協」になるようにする。
  9. 主業農家が脱落すれば、零細・非効率な兼業農家のためだけのJA農業関連事業は縮小せざるを得なくなる。このときこそ、「真の農業者のための農政」が実現する。

勇気ある発言だ。まったくの正論だが、今の日本では、正論を発言するのに勇気が必要とされるのだ。あいつらを敵に回すとホント怖いから。

日経経済教室:「農協の解体的改革を」(山下一仁)



今朝の日経「経済教室」は必読。日本の農業がなんでダメになったか、その根本的原因 と現実的な改革の具体策を簡潔にまとめている。かつて渾身の力作『農協』で農協批判を展開した立花隆が、いまやすっかり農業問題について口を閉ざしてし まった以上、山下一仁こそが数少ない勇気ある改革提言者だ。がんばれ!

山下一仁(経済産業研究所上席研究員)は言う:
  1. 兼業農家と一体となって事業を肥大化させてきたJA農協の存在が農業の構造改革を阻んでいる。農業の再生のためには、JAから信用・共済事業を分離して農業事業に特化させたり、JA傘下外で主業農家による専門農協を設立するなど、企業的農業を支援する必要がある。
  2. 農協の反対により数限りない農業改革が破綻した。農協が自らの基盤であるはずの農業の再生・構造改革に反対するのはなぜか。
  3. 農協法の組合員ひとり一票制のもとでは、少数の主業農家より圧倒的多数の兼業農家の声がJA運営に反映される仕組みであり、JAにとっても兼業農家を維持し農家戸数を確保した方が政治力を発揮できるから。
  4. 農業が衰退する一方、経済成長による兼業機会の増加と農地転用売却益により兼業農家は豊かになった。
  5. JAも農産物販売では赤字に転じる一方、信用・保険などの黒字拡大により高成長が続いた。JAは今や国内有数の金融機関となった。農家もJAも脱農・兼業化で豊かになった。こうして政治と強く結びつくようになった。
  6. 農業の再生を図るためにはどうしても企業的農家を育てる必要があるが、全ての農家を平等に扱う組織原理が企業的農家の育成を阻んでいる。
  7. JAに主業農家の声をもっと反映させなければならない。そのためには農協利用度に応じてひとり一票制を見直すことや、信用・共済事業の分離が提案されたが、JAの反対で流れてしまった。
  8. それならば現行制度で対応できる方法として、コメ主業農家による専門農協設立を支援してはどうか。「農家のための農協」が「農業のための農協」になるようにする。
  9. 主業農家が脱落すれば、零細・非効率な兼業農家のためだけのJA農業関連事業は縮小せざるを得なくなる。このときこそ、「真の農業者のための農政」が実現する。

勇気ある発言だ。まったくの正論だが、今の日本では、正論を発言するのに勇気が必要とされるのだ。あいつらを敵に回すとホント怖いから。

2005年6月3日金曜日

白内障の手術の模様は患者はそれを直視する……吉行淳之介『目玉』



吉行淳之介を読んでいたら、面白いくだりに出くわした。白内障の手術の模様。目の手術だから、目を閉じてやるわけにはいかない。当然開きっぱなしだ。だから患者は自分の目の中にメスが入ってくるのを直視することとなる。

吉行の本とはこれ↓

4103243139
吉行 淳之介
新潮社 1989-09

by G-Tools

はじめて知ったが、吉行淳之介は散人とほぼ同じ時に白内障の手術をしている。そのへんの描写が真に迫っており、散人の経験とまったく同じ。怖いものにちょっと興味のある人は読めばいいと思う。「こういう世界(自分の目の中にメスが入ってきてきれいな泡が立ったりする幻想的な世界)は手術をしている医者も経験したことがないだろう」と吉行は書いているが、そうなんです。あれはとても美しい。

目玉に局部麻酔の注射をやるのがちょっといやだったが、覚悟を決めて、まな板の鯉だ、切るなり殺すなりどうでもしろ、と開き直ると意外とどうと言うこともなかった。やっていることが全部見えるので安心感もある。

そ れにしても当時(80年代)は白内障患者に人工水晶体の埋め込み手術をする病院は、日本じゃごく少数だった。外国では一般的であったが、日本のエライ先生 達がダメだと言っていたので権威のある病院では逆に遅れた。こういうことは人工水晶体だけに限ったことであればいいのだが……。

2005年6月1日水曜日

「アホウドリという名をオキノタユウに変えよう」(長谷川博)



学士会夕食会という爺さん連中が集まるたいそうなところで東邦大学理学部教授の長谷川博氏が提言(学士会会報 No.852 夕食会講演録「アホウドリの復活の夢を追って」)。

長谷川教授は絶滅したと思われていた日本のアホウドリを復活させるべくたいへんなご尽力をされている方。ついに鳥島(八丈島の南の方)のアホウドリは1000羽を超えたという。

でも、アホウドリという名前は差別的でありよくないとおっしゃる。もっともなご意見。曰く:
アホウドリは英語ではアルバトロス albatross といいます。これは案外良い意味だと思うのですが、別名のグーニー gooney というのは「おばかさん」という意味のようです。オランダ語から派生したモリモーク mollymauk もあまりよくない意味らしいです。のろまとかちょっと不細工とか、そういうニュアンスかも知れません。

日本でも、かつてもう少しいい名前がありました。長門地方、現在の山口県では、沖の太夫と呼びました。日本海の漁師は使っていた言葉で、沖の方に住んでいるきれいな鳥とか、立派な鳥という意味だと思います。ぼくは、アホウドリという名をオキノタユウに変えたらどうかと提案しています。

差別用語は人間に対してばかりがよくないのじゃないよね。植物の名前にやたら出てくる「イヌ」というのも、気に入らない。そういえば「ヘクソカズラ」とか「イヌノフグリ」とかもあるな。

Posted: Wed - June 1, 2005 at 06:27 PM   Letter from Yochomachi   野鳥観察   Previous   Next   Comments (1)